「by your side」
(727mm×530mm キャンバス/2019年制作)
恋愛の比喩として「生き別れた自分の半身を探す」というたとえが、昔からあります。
ロマンチックなたとえとして、昔から使われてきた言い方ですね。
誰かとひとつになりたいという欲求は、人間が根源に持っている欲求のひとつだと思います。
自分のすべてを受け入れてほしい、という願い。
でも現実には、二人の人間が出会って、ともに歩いていくことって、そういうことではないんじゃないかなって思います。
相手を人として尊重する。
ということは、相手の他者性を受け入れる、ということでもあると思うんです。
人は自分が思っている以上に、変化していく生き物です。
機嫌の良い時もあれば、悪い時もあるし、一日の間でも変化していきます。
自分では気がつかなくても、一ヶ月経った時、一年経った時、同じ状態でいることの方が難しいんですよね、実際は。
自由意志を持った人間なら、価値観も行動も、人間的な成長に伴って変化していくのが自然なんです。
それを尊重して、そのまま受け入れていくこと。
変化していく相手をそのまま受け入れて、自分も変化しながら関係を更新していくこと。
ありのままの自分の姿に、自信が持てなかったり
そのままの自分でいてもOKなんだって、思うことができない環境にいた人にとっては、これが本当に難しいことなんですよね。
「I’m OK , You’re OK(あなたもOKだし、私もOK)」
という立場に立つことが、ちがう人格を持った人間どおしが、同じコミュニケーションの土俵に乗るための最初のステップなんです。
それが自然にできる人にとっては、たぶん何の事だか全くわからない世界だと思います。
でも人格が形成されていく時期に、その幸運にあずかれなかった者にとっては、この最初のステップがとても重い課題になってしまうんです。
たとえるなら、この信頼を形成する最初のステップが、容赦なく強風が吹きつける高層ビルと高層ビルの間に、たよりない一本のロープをはって、ポールを持って綱渡りするようなものになってしまう、ということなんですよね。
相手が変化していくことや、自分の知らない相手の姿や感情を、受け入れられなかったり。
逆に自分が相手に合わせて、否応なしに変化することを受け入れられなかったり。
自分のすべてを受け入れてほしいというエゴは、相手の自由意思をそのまま尊重できないことの、悲しい裏返しでもあります。
私も、ずっとそれに悩んできました。
他者とどう関わっていいか、わからなかったんです。
大切な関係だと思えば思うほど、深い関係になろうとすればするほど、その問題に直面しました。
でもある時、気がついたんです。
普通に相手と同じ土俵に乗って、ありのままの自分で接することが難しいのは、それ以前に、ありのままの自分を自分自身が受け入れていないからだってことに。
「I’m OK(私は私でOK)」の部分がすべての土台で、まずはそこからなんだってことに気がつきました。
私は幸運にも、旅に出て一人の旅人として、何者かを問われない環境で、いろんな価値観の人に出会うことができました。
旅は私の凝りかたまった思考や、価値観をときほぐしてくれました。
国籍も年齢も価値観もちがう、さまざまな人たちと接するうちに
いろんな考え方がこの世界にはあって、十人十色でそれでいいんだなって思えたんですよね。
そして絵を描いて全国をまわっていく中で、自分を肯定して歓迎してくれる仲間たちや、支えてくれる人たちに出会うことができました。
その過程で、少しずつそれまで身につけてしまった否定的な価値観の鎧を脱いでいって、段階を踏んで自分自身を肯定していくことができました。
そしてその間ずっと、未熟な私の手を離さずに待っていてくれる人がいました。
人のご縁や、幸運に導かれて、私は「I’m OK(私は私でOK)」という心の土台を、大人になってから、なんとか構築することができたんです。
この記事を読んでいて、同じ悩みを持っているっていう方は、たぶん自分を自分で肯定するということが一番難しいと思います。
ひとつだけ言えることは、自分に否定的な価値観を植えつけてしまっている環境や人間関係を、その場所でがんばって周囲と戦って変えるよりも、自分がそこを離れたり、自分が変わることの方が、ずっと負担が少ないという事です。
世界は思った以上に広いし、いろんな人がいるし、いろんな世界があるし、価値観も本当に様々です。
背負っているものや環境がそれぞれに違うので、簡単には言えないのですが、それでもその前提であえて言うなら、勇気と冒険心は入りますが、自分に合った場所や、波長が合う人たちに出会っていくことを、あきらめる必要は無いと思います。
せっかくこの世界に生まれたのだから、少しでも背負った荷物は軽くして、喜びを感じられる場所や、人間関係を選択した方がいいと思います。
「I’m OK , You’re OK(あなたもOKだし、私もOK)」
そう自然に思えるようになった時、はじめてコミュニケーションは、私にとって楽しいものに変わりました。
恋愛の比喩として「生き別れた自分の半身を探す」というものがありますが、自分を補完してくれる、自分の半身のような存在を探すことは、自分自身を傷つけ続けるようなものだと、今は思います。
そのままの自分でいい。
不完全で、未熟で、欠けていて、弱い自分かも知れないけど、それが自分なんだから仕方ない。
ありのままの自分を受け入れて、閉ざしていた心の窓を開けば、そこには支えてくれる人や、愛すべき人が立っていたりするんだと思います。
人にはそれぞれに価値観があるし、育ってきた環境があるし、性格や意思があります。
その違いをそのまま肯定した上で、お互いに時間を重ねて生きていくこと。
自分の知らない世界や価値観を持った人と、語らうことの喜びを知ること。
「I’m OK , You’re OK(あなたもOKだし、私もOK)」から始まる世界。
その世界が広がっていくことを、私は望んでいます。
リスが樹の上に隠れて見守っています。